野辺送り(のべおくり)という言葉を知っていますか。なんとなく聞いたことがあるという人もいるでしょう。この野辺送りとは、葬儀に関係している言葉です。

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野辺送りの意味と行い方
野辺送りとは、亡くなった人の遺体を火葬場や埋葬地などに運ぶ行為のことを指します。では、具体的にどのような意味を持っているのかをご説明します。
野辺送りとは?
野辺送りは遺体を火葬場や埋葬地に搬送することで、野辺という言葉は「埋葬」という意味を持っています。
昔の日本では、火葬がまだ行われておらず、遺体を土に埋葬するという方法を取っていました。ですから遺体を火葬せず、土葬をしなければならなかったので、故人の家で葬儀を行い、その後に親族や近隣の人が棺を担いで埋葬する場所に搬送していたのです。
このように、故人の遺体を搬送し埋葬するという流れがあり、この儀式を野辺送りと呼ぶようになりました。
現代でいう葬儀が終わったあとの火葬場に向かうまでの時間を、昔の言葉で野辺送りと呼ぶということです。
野辺送りの行い方
野辺送りには、参列する人によりそれぞれの役目というものがありました。その役目によって、参列する順番が変わっていきます。
野辺送りでは、棺に遺体を入れて皆で埋葬地に列をなして搬送するのですが、どのような順番で列になるのかをご紹介します。
・先頭に立つ人
先頭を歩く人は、「松明」または「高張提灯」を持ちます。
・二番手の人
先頭の後ろを歩く人は「籠」を持ちます。この籠の中には「散華(紅白の紙吹雪)」や「小銭」などの小物が入っており、歩きながら道に振りまいていきます。これらの小物を振りまくと、故人の魂を鎮めてあげることができ、穢れを払うことができるので、その地域に災厄がこないという意味があります。
・三番手以降
次は、町内会の旗と弔旗を持つ人が続き、その後に紙で制作した蓮華花を持った人が続きます。
それからは、「枕飯・水桶・香炉」などいわゆるお供物を持っている「お膳持ち」が続きます。
その後、衆僧、導師、御位牌持ち、天蓋持ち、棺桶、近親者女性、一般の参列者という順番で野辺送りに参列します。
・重要な役割を担っている存在「葬列六役」
野辺送りの中で、とても重要な役目を担っているのが「葬列六役」と呼ばれる人たちです。
これは、「四華花持ち・水桶持ち・飯持ち・天蓋持ち・香炉持ち・位牌持ち」という六役のことを指します。
ちなみに風習や地域に違いなどにより、先頭の「松明持ち」と葬列六役を合わせて「葬列七役」として野辺送りを行うこともあります。
野辺送りは現在どうなったのか?
野辺送りは土葬を行っていたころの日本で執り行われていた儀式です。この頃は、誰か亡くなるとその近所の人や町内会の人、また村全体が葬儀に関わるような時代でした。
葬儀の全ては、村や町全体で行うのが基本だったのです。
そして葬儀の最後には、遺体の入った棺を全員で埋葬地に搬送するという野辺送りを行い、締めくくっていました。
しかし、現在では野辺送りという儀式はほとんど見られなくなりました。葬儀の簡略化などにより、徐々に野辺送りが消えていったのです。
ただ、現在でも辺境にある村や山間部の村など、ある一定の地域では野辺送りを行うこともあります。ですから、完全に野辺送りが消えてしまったというわけではありません。
しかし、様々な事象により、多くの場合は霊柩車とマクロバスや自家用車などを使って、遺体を火葬場に運ぶ、自分たちも移動するという状態になっています。
現代の火葬場までの流れとしては、霊柩車に喪主と運転手が乗り、その後に故人と関係の深い人や遺族、親しい人などがマイクロバスやタクシー、自家用車などに乗って続きます。
僧侶は霊柩車の後ろのマイクロバスなどに乗るケースもありますが、基本的には自家用車で移動をします。
昔とは形式が変わってしまいましたが、現代で野辺送りを表すとこのような流れになります。
野辺送りのときに相応しい服装
野辺送りは現代でいえば、葬儀のあとに火葬場に向かうという行動になります。ですから、基本的に葬儀の際に喪服を着ていますので、喪服が相応しい服装となります。
また、現代でも昔ながらの野辺送りを行っている地域では、「天蓋持ち・位牌持ち・棺桶持ち」の三役にだけ、白い上着と草履という恰好をさせます。そして、喪主は「晒木綿の白衣」を着て野辺送りを行います。
野辺送りの形は変わっても故人への気持ちは変わらない
昔は野辺送りを行い、故人への感謝や悲しみの気持ちを歩きながら感じていました。現代では、そういった野辺送りの儀式はなくなってしまいましたが、火葬場に向かうまでの時間に故人への感謝の気持ちや悲しみの気持ちなどを抱くことは変わりません。
